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2017年 10月 23日
1、内と外の問題 先の文書で、「内なる問題と外なる問題」について書いてみた。ここではそれをさらに展開してみよう。 デカルトも言うように、「考える私」がいる。しかし、その考えに先行して体験があり、その体験から何かを感じる私がいる。なんらかの体験があり、感情がうまれ、そこから疑問が生じる。だから考えているわけだ。 では私の疑問とは何だろうか? およそ物心ついたときから、「周りの人々は忙しく動き回っているけれども、いったいどこへ向かって走っているのだろうか?」、そして「私たちはどこから来てどこへ行こうとしているか」、ということだ。 つまり「生きるということはどういうことなのか」、「人生の意味とは何なのか」ということが疑問であった。それ故にその答えを求めていろいろと模索してきたのだった。 その問いは、内なる問いとして「私とは何なのか」、「私はいかに生きるべきか」、「私はどこから来てどこへ行くのか」といういわば実存的な問いである。同時に、人間はひとりで生きているわけではない。この世界、私を取り巻く環境世界の中で生きている。この世界の中で、自分を表現しているわけだ。それゆえに、「この世界がどのようなものなのか」、「どこへ向かって動いているのか」、ということが問題になる。 この世界というときそれはさらに二つに分けられるだろう。まず私たちの前提になっているのは、この「宇宙、地球であり、自然」である。それなくしては人類も発生しえない。そして「人間は社会的動物である」、というのは人は社会の中で生き、社会の仕組み、しがらみ、そこから生まれる人間関係の中で生き、人間関係において悩んでいるということだ。 人は自己を、社会の中に、その人間関係の中に写してみる。社会の中における自己を通じて、この社会の問題と、自己が抱える問題を知る。この社会のしくみの不合理さを感じ、変えなければならないと思う。 それは社会の問題である。しかし、その社会で、どう生きるかは、自己の問題だろう。 つまり、宇宙、自然を前提として人間社会が成立している。その社会は時代によって地域によってその在り方が違う。社会でいかに生きるかは「私の課題」、実存的課題なのである。 さらにもうすこし掘り下げていくと、なぜ「私はいかに生きるか?」を問題にするのか。それは、この社会のあり方とズレがあるからだ。この社会で満足して生きている人には「私はなぜ生きているか?」などと問うことはない。そこになにがしかのズレ、不全感があるから、「それは一体どこから生まれるのか」、と考えるのだ。この「ズレ」「不全感」が疑問の出発点にある。 2現代の課題 私たちはいかなる時代を生きているのだろうか。 先に三つの問題点を挙げておいた。 1.個別化し、ばらばらになった人々、人間が物としてあつかわれる世界、新自由主義 2.共同体の消失、居場所なき時代、ニヒリズム、生きづらさ、閉そく感 3.価値観(生きることの意味と価値)の喪失、 今、私たちが何がしかの「生きづらさ」を感じ、この社会に自分の居場所を見つけることができず、「自己実現」もおぼつかないとなれば、未来に希望を持てない。この社会の先行きに希望が持てないと感じていることが閉塞感を生んでいる。 ところで、私たちが生活しているこの社会は、時代的に言えば、「近代」という時代である。日本社会も、黒船出現以来、西欧的な文明、近代文明を取り入れ、それが生活の基礎になっている。 近代と呼ばれる時代、それは経済的には資本主義である。契約により、個々の人間が結びついている。 例えば、近代以前の、封建制の時代では、「私はいかに生きるべきか」という疑問はあっただろうか。そこでは生まれながら身分が決まっており、その生き方も固定されていた。近代という時代、個別化の時代において、はじめて、この個人である私が問われるようになる。 今、ある閉塞感を感じているとすれば、それは今までの生のあり方、つまり価値観が現状と合わなくなっているということではないだろうか。生きることの意味を決めるのは価値観だ。 それゆえに今、価値観が問われている。新しい価値観の創造が求められている。それを検討するにはどうすればよいだろうか。 3、先人の知恵に学ぶ 私自身が模索してきたことをすでに昔の人々も考えてきた。つまり人間が悩むことは共通している。同じような疑問を持ち考え、解決の道を模索してきた先人たちがいる。 「私とは何なのか」、「私はどこから来てどこへ行くのか」、これは哲学、思想においては実存主義の課題である。しかしこの社会の問題も構造主義や経済学において、考えられてきている。人間の悩みとは普遍的である。したがって、私の悩みや疑問があれば、まず先人の智慧に学ぶことだ。 中世の大学にリベラルアーツ(自由学芸)という科があった。リベラルアーツとは、「人を自由にする学問」の意味で自由な人間にとって必要な教養のことだ。それにならって、私なりの自由学芸を挙げてみよう。 1、生きる価値を教えるもの(宗教・哲学) 仏教 キリスト教・神学 哲学 心理学 2、社会はどこへむかっているのか 歴史 経済学 3、宇宙・自然はどうなっているのか 天文学 物理学
by shantikund
| 2017-10-23 17:33
| 哲学・思想
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